Backrooms (2026) レビュー — 怪物映画のフリをした「壊れている精神世界」を象徴する映画

A24『Backrooms』は次元ホラーとして観るのをやめた瞬間に面白くなる——そして、そこに踏み切らなかったことが最大の弱点でもある。6/10。
movie
horror
a24
公開

2026年6月11日

English version here

Backrooms — 公式トレーラー(A24)

Backrooms は Kane Parsons の長編デビュー作(A24)。主演は Chiwetel Ejiofor(Clark)と Renate Reinsve(Mary)。スコア: 6/10。

注意: 結末を含む完全なネタバレがあります。

一行サマリ

リミナルスペース・ホラーの皮をかぶっているが、本体は「壊れている精神世界」を空間として象徴した映画。ただし、作り手がそこに踏み切らなかったことが最大の弱点。

すべてはメアリーの妄想では?

私の読みはこうだ。この映画のほとんどすべては、メアリーの虚構世界で起きている。 少なくとも、そう読んだほうがはるかにしっくりくる。

作中の設定自体がこの読みを支えている。バックルームは「かつて存在したすべての場所」を誤って記憶した(misremembered)コピーであり、入った人間の記憶・恐怖・トラウマを投影して部屋を作り変える空間とされる。この時点で、バックルームは物理的な異次元というより「心」の定義そのものだ。

  • クラークを殺すのは外部の怪物ではなく、海賊マスコットと融合した彼自身の歪んだ自己像(Pirate Clark)。自己と向き合った瞬間に、その自己像に喰われる。これは心理劇であってモンスターホラーではない。
  • 物語は前半クラークの転落劇に見せて、後半セラピストであるメアリーの物語にすり替わる。統合失調症の母、幼少期の記憶につながる石、そして彼女自身が迷宮に囚われる結末。「他人の心の迷宮に入る」のが仕事の人間が、文字通り迷宮に入る。
  • ラストショットでは、メアリーが尋問されている現実の部屋が、バックルーム内に複製されている。現実と内面の境界を、映画自身が意図的に溶かして終わる。

そして本質的な問いはこれだ。「バックルームが物理的に実在する」というホラー設定は、率直に言って子供じみている。壁の向こうに異次元がある、という恐怖は10代の恐怖だ。成熟した大人にとって切実なのは、自分が精神的に壊れていくかもしれない恐怖のほうだ。世界は正常なのに、自分が崩れていく(メンタルヘルス、認知症)——この読みで観たとき、この映画は初めて大人の鑑賞に耐えるものになる。

拡張: 認知症を含む、メンタル崩壊全般の空間化

この読みはトラウマや精神疾患に限らない。バックルームの不気味さの核は、怪物ではなく、正常な人間ではなし得ない空間の構造、家具の配置という認知的な不協和である。現実世界でもメンタル崩壊、認知症などの、非日常に接したときの恐怖と似ている。

  • 建築物そのもののおかしな設計
  • 整頓されていない家具の配置
  • そのすべてが醸し出す不協和音

この「空間が正しくない」という感覚は、認知症の内的世界の証言と重なる。認知症は「記憶が消える」ことではなく「世界の地図が崩れていく」ことだ。自宅にいながら「家に帰りたい」と言うとき、帰りたいのは物理的な家ではなく頭の中の昔の世界だ。その感覚を映像化したら、バックルームのような空間になるだろう。トラウマ・精神疾患・認知症——壊れ方は違っても、「自分の内側の空間で迷子になる」という恐怖の構造は同じであり、この映画はそれを空間として具現化している。

6/10の理由: メタファーと定義しきらなかったことが惜しい

ここまで読みが成立する素材を揃えておきながら、映画はバックルームを「壊れている精神の世界観のメタファー」と定義しなかった。Async という研究組織、ポータルの世界的拡大、続編への布石——SF的実在の側に半身を残したまま終わる。

その結果、曖昧さが「効いている余白」と「投げっぱなし」の区別がつかない箇所が残り、観終わったあとのモヤモヤが解釈の快楽を超えて未練として残る。壊れている内的心理世界の描写映画として振り切れば傑作になり得た。怪物映画として観れば凡庸。その中間に立ち止まったのがこの映画であり、それが6点の理由だ。